2015畑の記録*3/31育苗追加とメモ
追加で蒔いたもの
・青ちりめんしそ
・ゴールドラッシュズッキーニ(黄色)
・金糸瓜カボチャ
・雪化粧カボチャ
大葉は、これまで何度か蒔き直したけど芽が出なかったので、新しくタネを買い直してみた。なんとダイソーで50円。どんなタネでもタネはタネ。とはいえ、うまく育つのだろうか、少し心配してしまう。
カボチャのタネは、尖った方を下にして、1〜2㎝土をかける。
カボチャは直播きで何ら問題ないのだけど、交雑の可能性を少しでも減らすために時期をずらせればと思ったので、今回は一部を苗立てしてみることにした。
とは言うものの、何年か前にお父さんが、トーキビの種まき時期をずらしてみたけど外の気温に応じて成長するから結局のところ実がなる時期は同じであった、ということを言っていたのが頭から消えていないので、こうして、時期ずらし作戦を主導していながらも、内心では、この作戦にどれほどの効果があるのかと疑問に思っていたりする。
何事も、自分でやってみないとわからないので、致し方ない。
さて、フライングした分、生育が早いウチの苗たち。幾つかの苗はセルトレイが窮屈になってきていたので、ポットに移し替えた。
移し替え作業の中で思ったのは、みんな根鉢が浅いこと。オクラのように、いまにも駆け出しそうなものは当然、割としっかりしてるように見えるトマトでさえも、セルの半分ほども、根が張っていなかった。
いよいよ、セルトレイへの土を入れる際に土を固めすぎた説が、説得力を増している。
思い返してみると、去年の体験塾での実習のときに、確かにポットへはぎゅうぎゅうに押し込んだけど、セルトレイへは、木っ端を使って平坦になるように抑え込んだだけ、だったような気がしてきた。
オクラなどは芽を出すときに、ぎゅうぎゅうになっている土の間をムリムリ通ってきてタネの殻を脱ぐらしいので、土があまりふわふわだとマズイそうなのだが、今回は、そのオクラでさえ、根の張りが悪い。
今日から作るポットは、軽くぎゅうぎゅうにすることにしようと思う。
さて、ポットへの移植作業が行われるということは、同時に、苗の間引きも行なうということである。
だが、間引いて捨ててしまうことが、どうにも性分に合わないので、一つのセルから芽が複数出ていたヤツらは、根っこを丁寧に引き剥がし、それぞれをポットに入れてやることにした。
生育が良いと言っても、まだまだ苗は貧弱で弱く、絡まっている根をほぐすのは負担が大きいのは明らかだった。でも同時に、時間が経てば経つほど、根は絡まってほぐしにくくなりそうだったので、解くなら今の内なのかもしれないとも思った。
兎にも角にも、どうにも間引きがイヤなので、間引く必要がないようにタネを一つづつ蒔いてはだめなものだろうかと、つくづく思う。
発芽しなかった場合、セルのマスと土が無駄にはなるけど、間引く手間がなくタネも消費しなくて良いのだから、間引かなくて済むなら、その方がいいと思うんだけどなぁ。
それとも、間引き対象の苗の根っこがあることで、セルの中の土がふかふかになって水の吸い上げが良くなる、とか、なんか役割があるのだろうか?
と、まぁ。そんなことを考えるくらい、間引きという作業が、性分に合わない。
この芽と、あの芽と、その芽、があるときに、これとあれを生かし、その芽を切ってしまう。
これとあれを選んだのは自分だ。それを選ばなかったのも自分だ。なのに、自分で選んでおきながら、これとあれとそれの、何が違うのだ、と思ってしまうのだ。
大きさとか丈夫さとか格好良さとか、一応それらしい判断基準はあるものの、それは、わたしという人間に選ばれるかどうかの基準でしかなく、しかも、その線引きは非常に感覚的で曖昧だ。ぶっちゃけ、その線引きに精度はなく、ほとんど気まぐれと言っても良いぐらいだ。
まるで、神みたいじゃないか。
わたしによって選ばれたものが、わたしによって配置された空間。それが家庭菜園と庭だということか。
そこでは、わたしに、要らないと思われれば刈られ、有益だとか格好良いと思われれば大切にされる。
自分が神であるような世界。
いや、待て。
悩みに悩んで選別した苗が、元気で沢山の実をつける苗だとは限らないし、計画して蒔いたタネの全てが、思うように芽を出すわけじゃない。
元気に育つ苗なのかどうかも、配置が良いかどうかも、環境と適応で決まるものだ。わたしの選別や決定など、まるで関係ない。
もちろん、手をかければ手をかけただけ、畑や庭は、いろんな喜びをくれる。
芽が出る様子は、胸の中から明るさな湧き上がるような気持ちになるし、ひょろひょろだった草的なものが、しゃっきりと立ち、葉っぱや花を作っていく様子に、こちらも元気をもらえる。
でも、庭や畑は、喜びをたくさんくれるけど、「わたしが手をかけたこと」に応えてくれてるわけではないのだ。
思ってもみないところから芽が出たヤツが沢山の実をつけていたり、ちょっと放ったらかしになってたヤツが、素敵な趣きを演出していたり。
思う通りになんか絶対ならない畑や庭を相手に、自分は無力だなぁと思う反面、自分ごときが思う程度のことを軽く飛び越えてみせてくれることが嬉しくて楽しいのだと思う。
畑や庭において自分は無力だなぁと思っているのに、苗を選別したりしていると、なにやら自分が上の者であるように錯角しちゃうから、居心地が悪いのかもなぁ。
みんな大きくなれよ。
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