2015季節の出来事*4/11ウドの新芽


近くの林に、ウドらしきものが生えていた。なぜ気が付いたのかというと、山菜に詳しいからではなく、つい最近、ウドの苗を購入したからである。

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これがもし、本当にウドだったら…大変な笑い話だ。近くの林に生えてるものを、ホームセンターでお金を出して買ってきたことになる。

いや、わざわざウドの苗を買いに行った訳ではないのだが、ホームセンターへ行った際に、もう買う必要はないにも関わらずタネを眺めていたら、隣で山菜の苗を売っていたのだ。ウド、行者ニンニク、タラの芽…。そりゃあ、つい買っちゃうだろう。

山菜なんて、苗を買って植えて育てるものじゃないという人もいると思うが、都会育ちのAと田舎者ではあるが住宅地育ちのBには、山菜を見極める目がないのだから、しようがないだろう。

どこが採取しに入っていい土地なのかわからないし、採取ポイントの検討もつかないし、山菜の見分けがつかないので類似品かもしれないし。

仮に誰かに採取ポイントを教えてもらっても、山菜は限りのあるものだと思うと、連れて行ってくれる人が一緒じゃなかったら勝手に取ってくる訳にはいかないし。

教えてくれた人が、楽しみにして採りに行ったら一足先に採られていただなんて、そんなことになったら、うちの畑に来るキツネみたいだし。

だったら、自分の土地に山菜が生えていれば、諸問題は一発クリアじゃないか!

…という主張は間違いじゃないとは思うのだけど、でも、なんかやっぱり、山菜の苗を買って植えて育てるというのは、世界に向けて無知を公言しているようで、あまり大きな声では言いにくい。

それにしても、便利な世の中だよ。ウドが食べたいけど山に取りに行けないという人には、誰かが苗を用意してくれる。

先人たちが、創意工夫して幸せを追求してきた結果が、今の社会の便利さだもの。誰かの不便に気付く、その視点と、誰かの希望を実現するためにしてくれた努力そのものは、尊敬に値するし、有難いことに間違いはない。

この恵まれた社会の中で、残念なのは、モノを知らない自分なのだ。

だって、林で見つけたこれが本当にウドなのか、食べてみないとわからないのだから。

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と言う訳で、お浸しに酢味噌で食べてみたけど、思い返してみれば、これまでに「これがウドです」という具合にちゃんとウドを食べた経験がなかったものだから、食べてはみたものの、これがウドなのか類似品なのかは結局わからなかったのだった。