2015季節の出来事*5/23たんぽぽ狩り(notたんぽぽ刈り)


これを季節の出来事というには語弊がある。なぜなら、たんぽぽ狩りについては完全に後手に回ったからである。

本来なら、つぼみができる前にやらねばならないことだった。

黙々とたんぽぽを狩る。たんぽぽが何か悪さをするのであろうか、たんぽぽの存在は悪なのか、とかなんとか思いながら、執拗に駆除をすすめる。別にたんぽぽが憎いわけでもないのに。

作業中、「憎い」と思うから、憎いのだなとシンプルに理解した。

たんぽぽが憎いと思えば、たんぽぽは憎い。スギナが憎いと思えば、スギナは憎い。
たんぽぽやスギナが、わたしに何か悪さをするわけではないのに。

ちなみにシラカバは憎い。シラカバ花粉はわたしに悪さするから。わたしはシラカバに悪さをしないのに。

でもそんなことを言ったら、畑にいる野菜にしてみたら、わたしは野菜がつけた実を搾取して子孫繁栄を妨げるという凄絶な悪さをする輩なのだから、もうこれは、憎い憎くないとか、悪さをするしないとか、そんな区分は愚かではないのだろうか。

では、憎くもないのに、たんぽぽを殲滅するのはなぜか。

答えは、なんとなく、落ち着かないから、だ。

自分の思い描く庭が欲しいなら、いらないものは排除すべきで、それが庭を管理すると言うことで、そうして得られるのが、管理された庭の美しさだ。

ここで言いたいのは、管理することが良いとか悪いとかではなくて、どんな庭が良くてどんな庭がだめとかでもなくて。

わたしごときのセンス、わたしごときの思慮の通りになった庭なんて、
おそらく素敵でもなんでもないので、自分の思うとおりの庭なんて望んでいないはずなのに、それでも私はたんぽぽを狩るということだ。

なんとなく、そのままにしておいてはいけないような気がして。

そのままにしておいたら何がどうなのかも、わからないのに。

思った以上に、自分の中にも根拠のない一般的な価値観が根付いているのかもしれないと思いながら、
手は休まず動かし続けたのであった。

殺伐とした日記なので、気持ちが柔らかくなるように、トリの写真でも。ハクセキレイ

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